牛歩

雑感

英語を身に付ける目的

何のため?

英語をちゃんと勉強しようと思い直したことはこれまでに何度もあった。

教材を買い込んで、いざやり始めるとちゃんと続いたことがなく、何度も失敗に終わった。

本棚に並んだそれらの教材を見ると、自分の不甲斐なさに自己嫌悪になる。負の遺産のようなものにしてしまっている。

 

学生時代、特に高校生のときなんかは語学に関する興味が高く、英語に対しても意欲的だった。英検という所謂資格試験にも何度かトライしたし、結果も出せた。

 

大学生になって、時間しかない生活になると、なんとなく、また英語やるかという気持ちになり教材を購入する。その当時から言えば、まだまだ先に控えていた就活を見据えた勉強だ、なんて漠然とした意気込みで初めてみたりする。

結果的に、1日サボる。それが2日、1週間、1か月となり、自然消滅のように自分に思いませて、納得させる。

 

そんな繰り返しだった。

 

今、社会に出始めて、自分の仕事の仕方とかパターンのようなものがなんとなくつかめてきて、その分自分が仕事のできない人間なのだと突きつけられるようなこともたくさん出てきた。

日々、失敗を繰り返していると、よく思うことがある。例えば突然クビになったら、他に雇ってくれる会社はあるだろうか?どこも雇ってくれない場合、個人事業主としてやっていけるのだろうか?・・・

 

社会人1年目にできることは多くないかもしれない。

今の自分を俯瞰的にみると、スキルもないし、仕事もできないし、何ももっていないことに気が付く。悔しいけど、現実をみなければならない。